2013年3月アーカイブ

音楽と料理

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3月8日

 

音楽と料理は似ている。

 

こんな風に書くと、自分でもうまく説明はできないけれど、

メンタルな位置づけが同じだ

 

一口に懐メロというけれど、

若いころは、こんな知らない曲をなにがおもしろいのだろう

と、やたら懐かしんでテレビにかじりつく母を眺めていたものだ

 

子供は今がいっぱいで、過去がそれほどない

大人になるということは、その分だけ過去が重なっていく。

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暮れにシクラメンをいただいた。

貰った12月の頭から、ずっとずっと咲いている花。

毎日、花をつんだり、葉の黄色くなったのを摘んだりしているが

そのたびに、布施明と小椋圭の

【シクラメンのかほり】この曲が頭に流れ、

当時小学生だった頃の家での出来事や

気難しい父親の顔や幼い弟の顔がはっきり浮かんでくる。

 

小学生の頃の私は、虚弱で、年がら年中学校を休んでいた。

普段は母が美味しいものを沢山つくってくれるのだが(習いたての料理)

熱をだすと、普段は料理をしない父親がお粥をつくって

うれしそうに持ってくる。

 

これが、美味しいと書きたいところだが、

はっきり言って、まずい。

どうも、私のお粥嫌いは、ここから始まっているような気がしてならない

 

中華粥はそこそこ好きだが、日本の粥は食べると、かえって

気分が悪くなるのだ。

トラウマかもしれない。

 

 

シクラメンをみていると、あの歌がはやったころの思い出が

走馬灯のように、脳裏を駆け巡る。この不思議。

うちには、布施さんと小椋さんの両方のレコードがあって、

私はそのころ、華やかにうたう、布施さんの方が好きで

母は小椋圭の方がいいと言ってた。

ちなみに、いま、私の脳内にながれるシクラメンのかほりは、

その日の気分で、どちらかの歌が流れるけれど、

7:3くらいのわりあいで、小椋圭の歌が多い気がするのは母の影響だろうか・・・

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また、反対に料理を食べると、思い出すことがたくさんある。

中学のころ、月曜の5時間目と6時間目に始まる美術が大嫌いだった、

逃げ出したいくらい美術の時間が嫌いだった。

 

なぜなら、絵のヘタなコンプレックスと戦う2時間だからだ。

他の授業は1時間なのに、なぜか美術は2時間続き

月曜の昼が近づくと、キリキリと、安倍総理じゃないけれど、おなかが痛くなった

 

ならば、好きなおかずにしてもらおう。

毎週月曜日は、大好きな鶏のから揚げ弁当にしてもらった

美術ばかりを考えなくてすむ。

昼ごはんは、から揚げが待っている。そう思うと、なんとか月曜を乗り切れた。

 

 

でも、50歳になった今でも、娘のお弁当に、唐揚げを作っていると、

いつもほめられているクラスメイトと、その素敵な作品に

満面の笑顔を浮かべる、美術の清田先生の顔を思い出す。

 

そして、どうか先生が私のところに来ませんように・・・そんなことを

願いつつ、目の前のヘタな絵を見つめるあの空気感も一緒に思い出す。

 

よく師匠が、料理にはドラマがある。

よくそう言っている。

 

そして、BGM・・・音楽にもドラマがある。

 

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そういう位置づけで音楽と料理は似ている。

食べものは、人間の身体をつくるのに重要だけれど、

半分は心の栄養だ。そしてBGMも必要な気がする。

料理と音楽はセットだ。

 

好きな料理と好きな音楽

これは人の心に不可欠だとおもう。

 

流行った曲や好きな曲を20年たってきいたら、

それとセットでどれだけの思い出がつまっているだろう。

大好物の料理をたべて、目をつぶると、どれだけの人がでてくるのだろう

そこになくても、あのころの匂いさえしてくる。

 

昨日は久しぶりに、次女の定期検診に行った。

先生が入院当時のカルテをみて、辛かったあのころの話を

私と笑い話に変えた。

そこで思い出したのは、あの時猛烈に流行っていた

スマップの香取慎吾さんの

おっはー♪

慎吾ママの歌。

 

子供を楽しませようと、看護婦が、歌いながら入ってきた。それも毎日。

その頃は、へんな歌だと何とも感じなかった。

帰り道、線路沿いの神田川には、昨日の温かさで桜が咲き始めていた。

おっはーの歌が私の頭から離れないのと、その歌を毎日うたっていた

一年生新人看護婦の倉持さんの顔をはっきり思い出す。

隣の個室の子や、そのお母さんも思い出す。

次々、入院仲間の子供の顔や、毎日たべた、まずい病院食を思いだす。

 

音楽がくっついてない料理の思い出は、なんだか、さっぱりとしたものだが

料理と音楽がくっついた思い出は、心に深く、なにかを残すような気がしてならない。

そうおもうと、料理という仕事は責任のある仕事だと

改めて、しっかりしなさい、と自分に叱咤激励するのである。

 

 

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あれから、自分のなかで、かわったこと。

興味のなかった、フラメンコギターが心にしみる。

あるていどの年齢を重ねてきたからかもしれない。

 

そんな風な気持ちで、家に帰ると

小児癌経験者へのアンケートと意見というものが

小児癌研究所から、きていた。

いろんな思いがあったその日だっこともあり、

たーっと書いて、さっき投函した。

 

いま、現実つらい思いをしている人の心が

どうか、すこしでも楽になれますように。

料理という世界にいる、私はなにができますか?

ここのところ、自問自答の日々なのである

 

 

 

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