三月十二日
明日から、お正月前後のご馳走の本の撮影がある。
思えば、高校の頃から、面白がって作ってきた。
私にとって、いま、お節はどんな位置づけだろうと、
下記のように思い出したことを殴り書いてみた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
七草とおせちと襷
私は行事食好きの父のせいで、いろんな行事食とともに生きていますが、お粥が
今一つすきじゃない私は、七草粥がとっても苦痛の朝でした。なんで七日にこれ
を食べるのだ。だいたいこの日から学校なのに縁起悪い。。。。そう思い続けて
いました。まさに親の心、子知らずです。
でも、自分に子供が生まれ、ことに下の子は体が弱く、小さいころは病院での生
活が日常。どうか、すくすく育ちますようにという、どの親にもあるようにその
願いは、強くなり、私も当時、七草を作る母の気持ちがわかるようになりました。
父は自分のためのような気もしますが・・・・少なくとも母は家族のために、作
っていたんですよね。
いま、私の子供たちも、一月七日の朝は、お粥をみて、げげげげっと、食卓をみ
てちらっ。夫の母は料理の大嫌いな人だったので、夫は私と結婚するまで、七草
の経験がなく、今は、私が繰り返ししつこく七草を出すので、縁起担ぎでわんこ
そば程度の量の、七草粥を米のポタージュ間隔で食べます。
結婚当初は、正月の料理の文化の違いで、大ゲンカもしました。おそらく、夫婦
間の食文化の違いは、お正月にかなりぶつかること、日本全国調査をすれば、相
当なものだと思います。23年たって、ようやく私モードになりましたが、夫の
家の文化も取り入れ、ある意味違う形の正月の流れができたと思うのです。
結婚して、お互いが自分が正しい、相手が合わせてくれるだろうという期待もつ
と、たかがお正月で、離婚しかねないですよ。結婚してはじめてのお正月、お重
の中に入った、煮物を見て、夫はこう言ったんです。
『これ、たべなきゃ、いけないの?』
『おれが食べたいものは、何もない。お雑煮もスープが違いすぎる、せっかく元
旦なんだから、もっとおいしいものを買いに行こう。』全く無邪気な顔です。
えーーーーーー、何、それ。カッチーン(激オコ)
新婚はじめてのお正月の三が日は、口もきかず、最低の三が日。お重はカツ代師
匠から、買ってもらった大事なお重。頭にきて、どういう育て方をしたのだと、
自称料理嫌いの母のところに行くと、お雑煮が出てきたんです。料理が嫌いでも
お雑煮は作るらしい。
鶏ガラとかつおと昆布で、まるで支那そばのスープにも煮たつゆの味。そこに、
エビと伊達巻。伊達巻の甘いスポンジ状に醤油味のスープが吸い込む。
煮物は鶏もも肉がふんだんに入った、コクのある味だった。黒豆は買ったものが、
陶器の重に入っていた。これは煮たのよ、うちはこれが好きだからと、二段目の
重には大きな花豆の煮たのが出てきた。あとは、いつものおかずを義父がつくり、
他のおせち料理と思われるものは見たらない。
この一家、家にいることは、ほとんどなく、スキーやら、温泉やらに出歩くお正
月だったのだ。それぞれ、各家庭には心地いい正月文化がある。結婚とは、その
文化とも住まなければならない。避けられない事実とのご対面なのだ。
義理母は言った。『私ね、お料理嫌いなの。でも、この雑煮と肉の入った煮物と
花豆だけは作るのよ、ごめんなさいね。喧嘩したんだってね、おせちつくらなか
ったからね。私。』母に言わせると食べ盛りの男の子を育てるのに、肉食。さっ
ぱりした、東京の雑煮では満足できないだろうと、母なりに工夫して、ラーメン
のようなコクのあるスープを作り、それを雑煮にしたという。でも、買ってきた
ものを、四段重の陶器に次々、詰めていくのが面白かった。異文化はどんな美味
しいものでも、そうやすやすと受け入れられるものではない。
その昔、おなじ仕事場で働いていた、IAちゃんという子が
いて、お父さんは、ケンタ(ケンタッキーフライドチキン)が一番、好きでお正
月も買いに行って、まったくもうっ。という話を聞いて笑ったが、そんなもんだ。
その後、私もお正月には似つかわしくない(ま、それも私という自身の常識とい
う狭い世界の話なのですが)おかずを詰めつつ、毎年、少しずつ、自分寄りに
増やしていきました。
あれから23年の年月がたって、私がほくそえんでいるのは、いまや80%、自
分がこうしたいものが定番になってきたこと。
これ食べなきゃいけないの?というセリフを吐いた夫は、いまや肉の入ってい
ない煮〆をパクパク、食べるようになったこと。ここのところ、毎年、嫌味を言
う私。『あんときさ、こういったよね。これって食べなきゃいけないの?頭きた
わ、あの日は。。。。』
いま、それぞれのおふくろの味は、敬意をこめて、作る。
花豆はなかなか手に入りにくいけれど、新豆が出る
11月くらいから見つければ買うようにしている。
子供たちは、今はただ、食べる人だが、おばちゃんになったとき、お重に詰める
人になってくれていれば、それで私の伝承のバトンタッチならぬ、襷の手渡しは
半分成功といっていいのではないだろうか。
お正月の駅伝を見ながら、今年はそんなことを思った。
この本を見た人が、・・・・ねばならないというより、その家のおせちを自分た
ち自身で作り上げてほしいとおもう。なにからつくったほうがいいのか、一つで
も二つでも、作ってみてほしいなと。
私にとって、年に一度だけのことだからこそ、大切にしたいこと。
一月七日に植えた七草君たちは、
こんなに元気に育ちました。
明日、料理に生まれ変わります。
がんばって、育ってくれて、ありがとう。
コメントする