4月20日
明日は私、ピアノの発表会です。
ま、本当はこう書ける予定でいた。
小学生の頃、弟とピアノを習っていた。
練習の嫌いな、私は、どうも、今一つの出来。
つーか、まるで才能はなかった。どちらかというと、弟の方がうまかった。
中学に入り、しばらくして、部活を理由に縁を切った。
先生は若く、きれいで、でも、当時とてつもなく怖い人のように思えた。
ちゃんと練習してこない子にとことん、本気でおこり
私の前の子は、泣いて帰った。
親も弟も信じないだろうけれど、ピアノを弾くことは好きだった。
世にも苦手なのは、ソルフェージュのレッスンだった。
週に1回はピアノ、あと、1回はソルフェージュだった。
あと、指の練習も苦手だった。メトロノームで練習するのも苦手。
子供の頃、本小僧の私は1日2〜3冊の本を読む方が好きだったから
ピアノの練習の時間は正直、嫌いだった。
とりあえず、簡単に弾けるようになると
楽譜置場に本を広げ、本をよみながら、なんとピアノを練習した。
同じ曲を繰り返し弾きながら、大好きな推理小説を読む。
これが慣れてくるとほんとにできるようになるから不思議だ。
しかし、ある日、部屋の扉があき、
そこには鬼のような顔をした母親が立っていたのだ。
曲が単調でおかしいっ!と思ったらしい。
そんなまでして、ずるけて、練習するふりをして
と一喝して、
次に飛んできたのは、平手打ち。
ひーっ!
ピアノも弾かねば、本も読みたい!
いいことを考えたはずであったが、それは大きな間違い。
母は何度も情けない!情けない・・・と悲しんでいた。
親には、どうしようもない子供に映ったのだろう。
後から、母は言っていた。
そんなに練習が嫌いなら、やめなさい。
それから、日々考えるようになった。
ピアノは行きたいけれど、練習の時間、本を読む時間、
外で遊ぶ時間。
ご飯を食べる。
我が家の就寝時間は20時。
門限は17時
缶蹴りや、野球から帰り、風呂に入って、ご飯を食べて、
ピアノの稽古をして、本を最低1冊は読み終えるのは
不可能ではないか・・・
溜息とともに、ピアノの蓋をあけ、鍵盤を目の前に
毎日考えた記憶時間を思い出す。
なぜ、きっぱり、きめられなかったか。
ピアノの先生、K美先生は、料理がうまかった。
たまに、食べてきなさいという、おやつやサンドイッチと紅茶。
そして、クリスマス会でふるわれる先生の手作りのごちそうに
料理のお手伝いが、楽しかったのだ。
でも、練習の時間がつらかった。
最後の発表会で私に与えられたのは、当時流行った新音楽というジャンル。
いまは、オバラタカシさんなどが確立させた感があるけれど、
そのころは、違和感のある曲。
不調和音がたくさん入った曲で、弾いていて心地よくなかった。
先生は、その子に合わせて、選曲をしていて、
友人のMちゃんや、Fちゃんは古典的な素敵な曲をもらっていた。
いまなら、
いえるけれど、ろくろく練習もしない私には主張することもできない
それが最後の発表会。
途中、不調和音の入った16小節を、見事にすっとばして弾いてしまった。
わざとでは、ない。まじめに弾いて、抜かしてしまったのだ。
ドキドキしながら、椅子から降り、
お客さんに、頭を下げた。
いまでも、私の汚点の一つだ。
記憶というのは、決してきえない、いい証拠。
自分のピアノはひどいけれど、うまい人のピアノは心洗われる。
歌手がピアノ伴奏で弾いているけれど、
伴奏ピアノの美しさ。脇役の美しさをピアノほど感じることはない。
ああ、話がそれにそれた。
で、そんな出来の悪い生徒なのに、K美先生は毎年年賀状を送ってくださる。
15年くらい前からだろうか、先生が、はじめた3年に1度の
OBによる、なんでもありコンサート。
ピアノのほかに、楽器なんでもいい。
前回、私は友人と連弾をした。2か月練習した記憶がある。
今回は、その友人は、息子と連弾。弟は娘とフルートとのコンチェルト。
これは一人で弾くしか、ないな。
で、秘密のあっこちゃんと、ラピュタを練習を始めたのだが
前回以上に、いや、前回の10倍指が動かない。
無理だ・・・
老化だ・・・毎日包丁を持たないと、料理はへたになると、この世界はいわれてる。
ピアノはもっとだろう。
これは、ダメだ。
2月に
K美先生に、聴くだけの人で、参加します!
と、ハガキを投函した(笑)
あすは、友人親子と弟親子の連弾を聞きに行こう。
いろんな思い出をつまみに美味しい紅茶を・・・
品川MOAへ
食べるものも楽しみだな
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