藤沢

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6月21日

自分の人生の中には、

激しく、影響をうけた人というのがいるとおもう。

 

師匠・小林カツ代は当然なんだけど

 

それ以外に、私には沢山いて

おそらく師匠だって、この人と出会わなかったら

自分の器・・・・は出来んかったはず。

 

このシライさんなる人物、、、と、いろんなところに

くっついて、でかけた20代。

職人さんや、食品会社、椅子のアーチストや皮製品の職人さん・・・

 

様々な人に合わせてくれた。

 

ある日、シライサンと連絡がとりたいな・・・

 

実は、これ、いま一緒に仕事をしている

IさんとYちゃんも同じことをずっと思っていた。

 

話せばながいので、省略だが

今年の2月、雪の降る日

シライサンから、電話があった。

 

今いる場所ね、遠いの・・・藤沢きてくれる?

ちょっと、自分の体は不自由だから。

 

で、15日、劇的な再会をとげた。

そこには、大好きなシライサンと娘さん一家が

私を待っていてくれた。

顔は笑っていたが、心で泣いていた私!!

 

ホントに嬉しい。

 

娘さんによれば、あの電話、

退院して、京都から藤沢にきて、間もないとき。

 

なんとなく、シライサンもあの時、私に会いたいと

思っていたら、

ある人を通じで、私の電話番号が手に入り

神様は、会いたい人には、あえるプレゼントをくれるだとおもったと

言ってくれた。

秋から暮れにかけ、彼女は重篤で

いったんは、もう駄目と家族中を臨終かもしれない席に

呼んだとのこと。

 

退院のとき、医者から

シライサン、奇跡です。

 

そう言われたと。

 

あらためて思った。

生きていて良かった。逢えてよかった。

 

その後大好きなDANROKのコンサートを

みんなで聴きに行き、

 

シライサンは退院初の美しき生演奏だった

涙がでそうよ!あこちゃん!と

そう、教えてくれた。1曲目すぐに。

 

 

top.jpg

 

 

 

 

 

 

 

⇔DANROK

 CD

ジャケット

 

 

 

 

 

 

藤沢、、、、、ちっとも遠くない。

私の大好きな磯淵猛さんの紅茶店もある

DANROKの産みの街。

 

そして、今年、主婦の住みたい街NOワンに輝いたそうな。

 

アーシライサン、また、来るね。

むかし、20代のころ、シライサンちで、ご飯を食べた。

きけばIさんも、Yちゃんも、ご飯を食べていた。

ふだんはヒールでばちっと決めた、上下のスーツなのに

家にいくと、むかしでいう、アッパッぱ―ズルズルのシライサン。

オンとオフの過ごし方が、とにかく極端でそれが素敵だったりした。

 

恵比寿についたら、電話かけてくれれば

いつでも来て〜

いつでもウエルカムな家で、普段は忙しくしているだろうに

なんだか素敵な生き方だった。

 

約25年ぶりの再会となったが、チョッと体がまだ

不自由なだけで、なんにも変らなかった

当時小さかったふーちゃんが、かわいいおばちゃんになっていて

年輪を感じる。

 

コンサート会場のあとは、いつもように

ディンブラさんで、ワッフルを食べ、美味しい紅茶を飲み

茶葉3ヶ月分を買い込み、

Yちゃんの頼まれ茶も買い込み、

帰宅。

 

素敵な日曜日。

 

いつか・・・・会おう。

この言葉は、昨年から、やめました。

 

すぐ会うの。逢いたい人には、会う。

こんど会いましょう。この言葉は、私の中では、いま、死語です(笑)

 

こんど、

いつ?日をすぐ決めましょう。

 

今日は、土曜日。

これも、また、私たち家族に大大大影響を与えた

E夫妻、旦那さまは、今年1月7日に亡くなりました。

1人で留守番のできない、我が家の次女が大変お世話になり

かわいがってくださり、

勉強を教えてくださり、ご飯もたべ、昼寝もしたり

1月6日の夜9時すぎまで、次女は一緒でした。

 

それが、次の日、もう存在しないのですから、

いつか・・・なんて、そんないい加減なことばは、できるだけ

いりませんのですよ。

 

今日はEさんの家に

娘の学校のちかくで、待ち合わせて、

親子で行ってきます。

会いたい人には会うのです。

 

後悔しない生き方、これ50代の私のテーマかも。

 

 

 

 

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