毎年五月に思うこと・・・

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5月17日(月)

 母の日がすぎた日曜日になると必ず思い出すことがある。

 

Kちゃんだ。

Kちゃんの命日だ。

 

もう、天使になって、7年位になるだろうか。死んだ子の年を

数えてはいけないのかもしれないけれど、

生きていたら、かっこいい青年だ。

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ミクが1歳九ヶ月で、白血病で入院し、

入院したときは、危険せまった状態だったせいか

最初の4カ月近くは、まったくの個室。

それもナースセンターの中にある重患室だったので

他の子と他の家族とも、かかわることもなかった。

 

大切な治療がおわり、第1段階が終了したとき、

晴れて、ナースステーション前の5人部屋に移れる時がきた。

 

少しは賑やかで、ミクにはいいだろうな・・・

その日は張り切って部屋移動をした。

 

小児科のお部屋は、お母さん&お父さんがニコニコして

大人みたいに個々にカーテンをしめることもなく

24時間、子供中心にあるから、明るい。

 

そこに肝っ玉母さんみたいな人が、ミクのベット前の子供のお母さんだった。

衝撃的だったことに、その前のベッドのKちゃんは植物状態だった。

Kちゃんのお母さんは、にこやかによろしくね・・・と

いったあと、

Kはね、わからないのよ・・・もう、反応がないの

 

しばらくして、

パパはね、そのうち目が覚めるかもしれない・・と

言うだけれど、私はあきらめている・・そう語った。

そして、数日後こんなことも教えてくれた

ミクちゃんも、F先生だから抗癌剤つかってるんでしょ

うちはね、Vという抗がん剤の副作用で脳神経をやられてしまったので

治療も大事だけど、副作用の前兆は、親しかわからないから気をつけてあげてね

 

Kもね、こうなる数日前から何回も何回も妙なところで転ぶの

それ、前兆だったのよね。

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その言葉は背筋を凍らせた。

神経質な夫にはその時言えなかった。

 

その後、毎日家族同然に付き合っていくのだから、

いろんなおしゃべりをして、それこそ、

近隣の部屋の人や、出入りする子供とは、

みんな仲良しになって、毎日保育園がごとく、

それなりに楽しく過ごさせてもらった。

 

そういうと、健康な人には考えられないかもしれないけれど、

その時の小児病棟は、いたって明るいおあかあさんの集合体で

夕方〜パパさんにかわったり、土日はパパのあつまりだったり。

決して、一歩間違えれば、死と隣り合わせなんておもわないほど、元気いっぱいだ。

 

笑いも毎日たえない。みんなとにかくよく笑う。

 

白血病は、どの抗がん剤が、きくのか、その当時は、はっきり

解明されていなかったから、きく可能性があるだろうと思われる

抗癌剤を経験値に基づきながら、

一番新しいプログラムで、何種かの抗癌剤を、12ステップ(12クール)踏む。

途中、体の調子を見ながら、休み休み、早い子で足かけ2年半、

長い子で、3年〜4年かかる子もいる。

  

抗癌剤は、癌に有効な薬だが一歩間違えば、他の機能をいとも簡単に殺してしまう。

Kちゃんが、その例にあたいする。

 

なにの抗癌剤の種類か忘れたが、24時間ぶっ続け投与の抗癌剤治療の日

私は、緊張した。

例の薬なんじゃないかと・・・・・

なにの薬でも、同じなんだけど、、、、

 

案の定、副作用は強烈な形でやってきた。

両手の点滴、おしっこ袋をぶら下げるため、

抱っこをしてやることが出来ない。

バギーにのせた。

顔から笑顔は消え、怒っているか泣いているかだ。

2歳をすぎたばかりの1月だったろうか

口の中は、副作用で血だらけだった。

それでもおやつに配られた、カステラが食べたくて、

手に握りしめていた。

 

もう2時間くらいたっているので、ベトベトのカステラは、もう

普通にたべらるような形ではないので、

もう、ミクちゃん片付けよう・・・・

そう、声をかけても

 

やっ、ミクちゃんたべるの

 

・・・・そう言って口を真っ赤かにして泣いている。

時々火がついたように泣くのは、おしっこをするとき、

粘膜が弱くなっているので、痛いらしく、泣く。

袋にたまっている尿は、真っ赤かで、段々、泣きっぱなしの時間が長くなり、

顔も土気色。

口からの出血はとどまることを知らない。

 

このままでは内臓もひどいのでは・・・・

このくすり、効果がある大事な薬と、事前に説明は聞いていた。

 

このまま続けていいのだろうか・・・・不安で一杯のとき、

Fドクターが声をかけてきた。

 

どうしましょう、おかあさん

この副作用がひどいし、おしっこの出血もひどいので

この治療続けますか?

 

最後どうするかは、いつも親の決断。

はじめての経験で、この決断はきつい。

このまま、治療をしたら、死んでしまうのだろうか・・・・

もし、治療をやめたら、再発するんだろうか・・・・

でも、続けることによって、死んでしまったら、

再発も何も意味がない。

 

副作用には気をつけてね。

あの時やめていれば、Kはこうならなかった・・・

Kちゃんのお母さんの言葉がずっしり重い。

 

FドクタチームのYドクターが通りかかった。

子供のいるお母さん先生だ。

思わずきいた。


Y先生なら、自分のお子さんにどっちを取りますか?

 

Yドクターは、しばらくミクの横で考えながら、こう答えた。

 

やめる選択をとるとおもう。

 

私はFドクターにこの薬だけ、中止を申し出た。

 

結果、24時間点滴でする薬だったけど、ちょうど12時間で終了となった。

 

その後、何年もこのことがひっかかり、あの半分でやめたせいで

再発するのでは・・・・これは退院して数年を私を不安にさせた材料でもあり、

治療が予定通り出来なかった、一つの出来事としてずっと、引っかかってきた。

 

ミクが6年生になり、もう、完治でしょうという先生の言葉を

こないだの3月に聞いて、やっと、このとっかかりが消えたような気がする。

病院の検査も半年に1回でいいことになった。

 

新しい治療は、5年以上の生存率という数字と、完治の数字がアップするが、

副作用の前例は、未知の世界。

副作用の安全策をとると、生存率はグ―ンと下がる。

どちらのプレトコール(プログラム)で治療するかも最初の段階で

親の選択だ。

 

私も夫も、なにはともあれ生きていてほしい。

そう願って選んだ、あたらしい治療は、つねに親の心も悩ませる。

 

でも、Kちゃんみたいに、早く、新しい治療で苦い、とりかえしのつかない

副作用の経験から、ドクター達も

どうするか、続けるのか、続けないのか・・・・検討するようになっていたはずだ。

 

またKちゃんのおかあさんの、気をつけてあげてね。

副作用はこわいから、やめる決断も重要

 

それも全て、あってはならない経験からだ。

 

あのとき、治療を続けていたら、

抗癌剤そのものに耐えられなかったかもしれない。

 

悲しいかな、つらい経験をした人たちのおかげで、今がある。

いま、元気に生きているミク。

生意気な、発言をする6年生。

 

母の日がすぎた、日曜日になるとおもう

Kちゃん、ありがとう。

あなたが辛い治療をして、

あなたのお母さんが、教えてくれたから、

私は、決断できたんだと。

Kちゃんが生きていた16年間に感謝し、

そして、天使になったKちゃんに毎年、心からお礼を言いたい。

 

 

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