日記

あの頃

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2月12日

 

近頃、うちの娘さまは

帰宅が遅い

何時に帰ると、報告して出掛ける時は

いいのだが、彼女が聞く間まもなく、バイトで猛烈に早くでかけたりすると

聞きそびれる。

 

そのうち帰ってくるだろうとおもっても

これが、零時近くなっても音信不通になると流石に心配なってくる。

 

大学生も、1年生になり

バイトもはじめ、バイトでおそいのか、あそんでいるのか怪しんだりしている。

 

帰ってきて、猛烈におこると

過保護だと、指摘されるが、、、、この心はわからないだろうな

 

思い返せば、自分も同じことをやってきた。

なんで怒ってんのかな。

そんな悪いことはなんもしてないのに。

母とは、そのことで、よく喧嘩をした。

 

その都度母は、いった。

他人でも親子でも、一つの家に住むということは、ルールがあると、

湯気をだして怒っていた。

 

終電ともなると、そーっと鍵を開けて、家にはいり

ばれないだろうこっそり寝る。

翌朝、おっかない顔して母がいう。

 

『何時に帰ってきたの?』

『12時ごろだったかなぁ』

あきらかにウソだ。当時西武新宿発零時7分の電車だから、

ハナコにつくのは、その35分後だ。そこから、もうバスはないので、

歩く。

1時を回っている。

一か八かで、うそをいう。

 

『12時ごろ、トイレに起きた時、あなたはいなかった』

そして、あのセリフを言うのだ。

 

『ルールがある』

そう、物騒な世の中、娘であろう、誰であろうと

門限すぎて、場所も分からず帰らないのは

心配なのだ。

 

そして、今、ついにこれを書いていて、零時を過ぎようとしている

爆弾雷を落とそうと、大好きな銭湯にもいかず、

待ってやろうじゃないか。

50歳すぎて、あのころの母の気持ちがよくわかる。

すまんのう、かあちゃん。

 

いま、同じようにオニババに、変身中です。わたし。

 

 

 

 

 

 

 

一月十七日

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あれから、もう二十年か。

阪神大震災。

娘の誕生日の朝は、必ずこのニュースから始まる。

 

娘が、今朝いう。

生まれた時から、自分の誕生日は

このニュースから始まる。

たんじょびは、あまり、はしゃいじゃいけない・・・

ずっとそんな気がする。

 

また、姪は被災地の当事者。当時七か月の赤ちゃん。

成人の日には、着物姿を写メールしてきた。

そうか、二十年か。

 

義妹はあのとき、家に子供と二人きりだった。

窓から海のほうを見ると、まっかかに燃え盛る景色が

なかなか、現実のこととして受け止めることが

難しかったと、話をしていたことがある。

 

日本は地震の国。

大地震はどこにでもくる。

わかっていながら、この土地に住むことを

運命づけられた国民なんだと思うと、

不安という言葉はあってない、力強いDNAでも

体にうえつけれられているんだろうか

 

なんだか、いろいろ、考えてしまうのが一月十七日。

2015

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明けました

二日から、すさまじいスケジュール

どうなる?

 

 

 

 

 

 

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