一月二十五日
フロイン堂
最寄駅は阪急岡本駅。
店のたたずまいは、昭和の香りがする。
木枠でできたその店は、ガラガラガラ〜っと
引き戸をあけると
パン屋さんというより
一種、どこかの工房にきたのだろうかという錯覚に陥る。
木の棚に、見事にきれいに並んでいる
食パンで、この店の家族に、このパンが愛情を注がれて
育ったことがよくわかる。
いま日本は機械化が進み
パンも、ほとんどがでっかいパン用のコンべックで焼かれることが
多いなか、昔ながらのレンガ使用の
パン窯でやかれているらしい。
そのせいかまわりの焼き加減がかなりしっかりしている。
トーストしてたべたけれど、ここのは食感がしっかりしているのと
案外塩分がしっかりしているのでバターは無塩か
塩分のすくないタイプがあうとおもった。
焼き立てに、何も考えないで
よつばバターをぬって1枚目、おいしいけど
自分のバターの選択をまちがったとおもった。
ライ麦パンはぜひ、野菜たっぷりスープか豆などの雑穀のはいった
スープがほしい。
これはその日はそのままスライス。
翌日は軽く焼いて、冷めてから、バターかクリームチーズがいいな
それもバターは固形のまま、バターがパンにとけこんではいけない
しかし、神戸はいたるとこに、パンやとスイーツの店が密集というか
群衆している。
これだけ、パン屋のレベルも高く、
朝パンを食べる人々が多いのだろう。
フロイン堂は、全国展開をしいている、フロインドリーブの支店から
始まった店らしいのだけど、
頑なに個人商店の形をのこしているので
人の手の味わいとぬくもりはかわらないのだとうとおもう。
近くに住んでいれば、いろいろ食べてみたいけれど、
残念なことに旅人だ。
送ってもらっても、焼きたては食べられない運命だものねえ。
東京にも、風変りなパン屋さんは
だいぶ増えたけれど、テーブルパンの基本の食パンか山食がないと
私は少しがっかりする。
どんな人気のパンがおいしくても、食事用の
お米で言えば白いご飯が基本がように
食事としてのベースになるパンがないと、
がっかりなのだ。
あと、他のパンやをみておもったけど、
どこのパン屋さんをみてもそうだけれど、
焼き加減が全体的にしっかり目の店が多い。
おそらく東京は、もう一度家で焼かれるの計算がはいるのか
なんとなく、焼き加減が一歩手前だ。
どちらがいいとはいえないけど、職人気質が強いのは
関西かもしれない。
俺のパンはこうだと、主張がなんだか強い。
モバイルの仕事で、白いご飯に合うおかずを
中心にしてきたが、この辺の人の暮らしは
どうやら半分パンだ。
これは全国、歩かないとわからない実感。
こないだ、歩いた銚子や外川のまちは、あるけどあるけど、
ケーキ屋もパンやもない。
魚中心の町だ。
日本はせまいのに、こんな食文化が違う。
東京だけを歩いていては、食の発信の仕事には限界があると
思いながら、神戸の街をさまよった1日なのである。
また続きはあすだ。朝ごはんの仕度しなきゃ。
今日は何のパンを仕度しようかな・・・・
♪台所日記♪
昨夜は仕事をしていたら、途中で不都合が生じていることが分かり、
7時半くらいから
戦っていたら、ふと時計をみると9時だ!!
子どもたちも事務所にきていたが、仕事中このおかんに
文句をいうと怖いので、
しずかに漫画をかいたり、
私のへっぽこパソコン(MとKがきかない・・笑)で遊んでいた。
昔懐かしい、先代のオヤジさんはなくなったのだけど、
いまは息子さんがやっている博華に15年ぶりに行く。
お母さんは、だいぶ年をとったけれど、
息子さんと二人でやっていた。
固い焼きそばをミクとたべたけど、
味は庶民だけど、
もやしのひげはきちんととってあることにおどろいた。
かつては、お客さんのとのやりとりは日本語
厨房でのご夫婦の会話は北京語だった。
息子さんは日本育ちなのだろう。
厨房から聞こえた、おやっさんとママの日本語と北京語の使い分け会話が
今は聞こえないが、なんとも心地よい感じでなつかしかった。
そっくり顔の息子さんを見ていると
厨房に、おじさんがなんか立っているかんじがする。
味は、だいぶ油とグルソーがへったヘルシー志向に変わっていたが
2代目はがんばっていた。
朝ご飯・・・・・・
夕飯・・・・・・
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