9月27日(火)
お彼岸も終わり
彼岸中、自分の故郷の習慣で
餅をついて、父が、持ってきた。
のし餅で持ってきてくれたけれど、
まだほにょほにょに柔らかい。
二日連日、朝・晩とお餅鍋にして食べた。
1日目は中華鍋
2日めは和鍋
毎朝は、一人用の鍋に、簡単スープ餅入り
もう、飽きただろう・・・
と、でっかかめに、餅を四角く包丁で
がっしがっし、と
カットして、冷蔵庫に・・・・
で、普通朝食にしようとしていた三日目の朝、
アヤが起きてきて、
えっ、きょうは餅じゃあないの?
えっ!?まだ、餅がいいのかい?
もう、四角に切ってしまったよ・・・
急きょ、オーブンで焼いて、磯辺餅にすることにした。
売っている餅の3倍はあると思われる、お餅は
焼き上がると、身が厚く、ひと口食べると
お米の美味しさを感じる。つける醤油はほんの少しでいい。
この時期のもち米はまだ新米じゃない
でも、新米を買う前に家の餅米を使いきって、
新米を迎えるのには、良い行事だ
父の故郷では、夏も盆・彼岸と必ず餅をつき
5種類以上の色とりどりのお餅が
御先祖さんに、鮮やかにお供えされて、
もちろん、私らも、それを頂く。
都会の嫁さんと違いたいへんなのは、
餅の他にも、ふつうに食事をつくらなきゃならないこと
都会人の女性だと、
めんどー、と叫ばれて、おしまいにされるところだなあ・・
でも、このめんどーな繰り返しで
なんとか、この食文化が残っているから
なんとも同じ台所人間としては、複雑なところだ。
いくら料理が好きでも、私はこういうのをすんなり受け入れるんだろうかねー・・・
疑問だな、自分が。
私には、お彼岸のお餅の品ぞろえは、経験がないけれど、
この時期は、茶豆のお初ものがでるころ
きっと、ずんだは、茶豆なのかな・・・
で、あんこの小豆は旧豆で
新旧交代なのかしら・・・とあれこれ、食卓を想像してしまった。
実は、子供のころ、私はお餅がそんな好きじゃなかった
甘い小豆も苦手で、
このお餅の日は、綺麗で観るのは好きだけれど、
余り、楽しみな食事ではなかったのを覚えている。
盆は父か、母の実家で餅
彼岸は、東京の自宅で、母は父が勝手に餅準備を始めるので
あんこ・ずんだ・お雑煮の3種くらいは
いつも用意していた。
で、いつも納得いかないのが、
こういう行事食になると父が妙にうるさく、
田舎の風習にのっとり、
食べる順をうるさく指導するのだ。
私はあんこもずんだも、
なんか、おやつ感覚なんで、
雑煮だけでいいと思うから
真っ先に、雑煮を要求すると、
だめだ、あずきからだ・・・・
こう言って、ぜんざいから渡された。
その次が、ずんだで、
最後は雑煮という順番なのだ。
田舎だと、ここに
納豆+おろし、黒ごま、もしくは鶯きなこ
とくるが
たしか
小豆⇒ずんだ⇒ごま⇒納豆おろし⇒雑煮
私の大好きな雑煮が一番最後なのだ。
子供のころ、雑煮まで行き着くのに遠い遠い道のりだったのを
覚えている。
あれ・・・・ここでふと思い出したが
すり鉢は1回しか出てこないから、
ずんだか、ごまのどちらかだった気もするな
結局雑煮にたどり着いた時には
餅は食べられない。おばあちゃんの
アッコ、餅、なんぼいれるの?
餅なしーっ。
なんで?1つは食わんなねぞぉー
そういって、激しく太めのばあちゃんは、
強引に椀にでっかいお餅が1個
ときには、1個にもういっこおまけにくっついてきて
箸でもちあげると
ぎょへ〜ぇ、
で、だんだん賢くなってきた、小学生も高学年になると
ばあちゃんの目を盗んで、納豆餅の入っている鉢の中に
お雑煮のもちを入れてしまう。。。マゼマゼ・・・笑
私が紛らせた餅はどうなるのか、
なんか、犯罪者みたいに気持ちで、
じっと納豆鉢を見ていると、必ずといって、
ご飯好き叔父が、私の突っ込んだ納豆餅を
がっしと箸で、おかわりをして
口にほうばる・・・・ここで私は安心するのだ。
父は都会でもこの餅習慣が抜けられず
食べ方の順を私にも強制しようとしたが、
あまいのいらないーと私が言うたびに
これは、食べ方の順があるんだ・・・と必ず講釈をたれるのだ。
中学にもなると、父の講釈は無視で、私は、自分の家では
小豆パス
ずんだ1個
雑煮は餅抜き
雑煮をおかずに白いごはんを食べていた。
いまは、餅も好きだし、
あんこもケーキよりずっずっと好きだ。
嫌いだったものの思い出は、なぜかすきなものより
その会話や空気、背景までくっきり覚えているから
不思議だ。
そういえば、激しく肥っていたばあちゃんも
今年98歳
デブばばとあだ名をもらっていたが
90歳過ぎてから、背も体重も並になってしまった。
あのころのばあちゃんの餅の食べっぷりは
実に、見事だった・・・・。
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