三月十二日(金)
昨日はミクの検査&診察
お茶ノ水駅を抜け、空を見ると久しぶりの晴天。
抜けるような青空・・・・なんだか涙が出そうになった。
もう、何年かよったかな・・・・10年目だ・・・・・。
春はおじさんみたいなおばさんでも、おセンチになるのか・・。
検査の嫌いなミクは、前日からイヤ・・・・2〜3日前から
いやだな・・・いやだな・・・を溜息まじりでくり返す。
冬になると、昔1年間、針を血管にいれっぱなしにした痕が
ズキズキするらしく、ママ、手痛いよと訴える。
どこ?と聞くと、
ここ・・
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見ると、小さい頃に点滴の為に24時間体制で、薬を入れるのに、
手の甲側から、血管に針を入れっぱなしにする。
2〜3週間で別の場所に、針を移動するがほぼ、同じような場所を繰り返し、
さして・・・抜いて・・・・さして・・・抜いて・・・
1年ちょっと続いたその痕は、11歳になった今も
消えるどころか、穴の痕が大きくなって点点と残っている。
そこが、なぜか痛いという。神経痛みたいなもん???
あまり大げさに、しても子どもかえって神経質になるから、
ふーん・・・・なんだろね・・・・バスケの練習のせいかなあ・・・位にとどめておく。
本人は、小さい頃のことなんで、全く覚えてないから
潜在意識はないはずだから、痛いのは気のせいじゃないみたいだ。
そこが痛いといわれるのはたいてい冬・・・
忘れようよ思っても、そこでついついいろんなことを思い出してしまう。
昨日は、順天の小児科はやけにこんでいて、待ち時間も長かった。
そのころ、ミク御指名の採血の先生がいてインターンのドクターだったとおもう。
バッタリ出くわし・・・ミクの大きくなったのに
驚いていた。(今は小児科の立派な、メインドクターだと他の先生からきいた)
約9年半前、ミクは言葉のはっきりした子で
教授回診が大嫌いで(いい先生です)
山城雄一郎教授が、近づいたり、ガラスの戸の向こう側に立っただけで
きらいーっ!あっちに行け!と泣き叫び・・・子供のくせに血圧は180をこし・・・
すさまじい勢いで怒るもんだから、
それにビビったドクターたちは、そっと向こうからのぞくんだけど、
毎週、教授回診はなし・・・・という異例というか、特例が・・・
結局1年続いて、心を開くことがなかったミク。
唯一、心をひらいたのは、朝採血にくる、お気に入りの若いドクター2人と
ヨネサンという看護婦さんら数人(ミクのエリアの担当看護師は全員で23人)
あとは直接担当の、F田先生と、その奥様のY子先生だ。
大好きな看護婦にはおんぶで、夜中の回診につきあったり、
一緒に添い寝してもらったりしたのに、ひとたび気に入らないと、
○○さん、嫌いーっ、あっちにいけ!
と
怒鳴るもんだから・…(2歳になったばかりというのに、口が達者)
看護師さんたちも、ミクの抵抗には人によっては手こずっていた。
昨日、その時のインターンのS先生とその話になり、そのことをよく覚えていた。
ミクが採血を快く泣かずに、がんばれたのは、S先生とF先生だけで、
その後もいつでも呼んで・・・といってはくれたけど、
他の先生で、うまくいかないと、その都度ポケベルで
呼び出されて、何処からともなくすっ飛んできてくれて
今から思えばありがたい話だ。
針交換のときは、抜くのは簡単でも、あの細い血管に入れるのに
30分以上かかることもあり、そのときは暴れないように、全身を毛布で、
マルタン棒みたいに巻いて、危なくないようにする。
そうすると、ミクは、その人をしっかり覚えていて、
廊下ではっけんして、
ミクちゃんをのりまきにしてーっ!と罵倒して泣きじゃくる。
で、その人には一切心をひらかなくなる。いくら、あとで私が事情を話しても
のり巻きにした、本人が話をしに来ない限り、彼女はゆるさない。
S先生たちがなぜ、同じことことをしても、ミクはがんばれたかというと、
彼らはその後の、心のアフターケアが素晴らしかった。
ことにY子先生の、ホローは時間をかけ、2歳の子でもこんこんと
話をして、納得してもらう努力を親の私達もみてきた。
必ず、信頼関係はできるのだ。時間が必要なんだ。
しかしながら、このたまにやるのり巻きは、私も手伝ったので、
その後の信頼かんけいはトラウマになって、退院後いろいろあった。
これはまた、いつか記そう。
入院中の採血は週3回・マルクは1カ月に1回。
マルクは脊髄からの検査・・・・麻酔をかけても泣き叫ぶ声が聞こえる。
中学校に入った大きい子でも、そのストレスで麻酔すら打てなくなったり
退院後、針を打つ前から、いつもの採血すら恐怖で涙が止まらなくなる子もいる。
そういう意味で、ずうずうしく御指名性で、信頼関係を結んでいって、
恐怖と闘ったミクは、その後の採血には抵抗を見せなかったので
その時親としてはすいません・・・・忙しいときに・・・・とほほ
なのだけど、結果よかったな・・・とおもっている。
トラウマはなかなか消せないものだ。
おととし、本人に病名を告げ、今は完治に向かっていること
その話をしてから診察室には、ひとりで行くことを勧めた。
なんでも私がドクターと話をしては、子供の自立につながらない。
きのうも、同じように入っていって私があとから呼ばれた。
先生は・・・・
もう、大丈夫だから、半年の一度の検査と診察にしようと2人で決めました。
と・・・・とおっしゃった。
本人も嬉しいだろうけど、私もなんだか嬉しかった。
不思議なことに、昨日どーっと疲れか出てしまい…歩くのもしゃべるのも
困難…爆睡。朝も、よっしゃー! 仕事!という感じが出てこなくて、
困ってしまった。
そうだ、文書に書き留めておけば、気持ちも晴れるかもしんない・・・
と、つらつらと、とりとめないことを書き始めてしまった。
いつも検査のあとは、ミクの食べたいものをご褒美に食べる。
昨日は駅前にある、ひまわり回転寿司にいく。
いきなり回転寿司で、一皿…500円の豪華な金皿を夫がとると
パパっ、いけないんだよ、皿の種類を見なきゃ
それ、一番高いお皿だ!!空気よみなよ…
ご褒美できた回転寿司だから、好きに食べていいのに・・・・
普段の生活が出てしまった・・・・・(苦笑)
でも、大きくなったんだ・・・としみじみ思った。
治療が終了してこの3月が、ちょうど七年目になる。丸々7年たてば、
完治とみなして、入れる保険もあると何かで、読んだ。
あー、長かった気がする。ここまで来るのに
あっという間だったなんて、嘘でも世辞でもいえないな・・・。
とにかく良かった、よかった。
半年に一度もすぐ、きそうだけど、もう大丈夫・・・と言われた
喜びは大きい。