2010年5月アーカイブ

くまもとでー

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5月22日(土)

熊本で―

 

我が家は時々“熊本で―”という夕飯の日がある。

 

修学旅行でしか行ったことのない熊本。

食べ物で有名なのは、いきなり団子がその代表だろうか・・・

 

なぜ・・・熊本か

 

娘の顔

 

明らかに、西方面の顔立ち

私は夫の実家は、品川ときいていたし、結婚したころ本籍は港区。

母は千住の下町ときいていたので江戸っ子だと思い込んでいた。

 

アヤがうまれたとき、

私の実家では、私のどこにも似ていないと・・・もっぱらの評判。

夫婦別姓をつらぬきとおしていたので、

思い込みの激しい友人の姉なんぞ、、ホンダさんて、エライね

あんな小さいの連れ子結婚だなんて・・っ!

・・・・とほめられた…苦笑・・・。

 

まさしく!これは!明らかに、私のどこにも似てないからだ。

私の両親の実家は米沢、祖父の出は新潟。

私の顔はあきらかに、東北に良くいる顔なのだ!

 

久しぶりに友人にあったとき、その友人は独身なのだが、

なぜか娘と顔が似ていた。

思わず、ねえ、うちの子と似てない?

Kちゃんはいった、

私もそうおもう、他人の気がしないわ。自分が産んだ気がしてきた。

 

数年後、なにかの話の折、Kちゃんのご両親が熊本の人だということ

また、夫のおじいちゃんはもともとは熊本の人で、

若いころ仕事で、銀座に来た・・・ということも知って

はじめて分かったのは、

娘の顔は明らかに熊本県人の顔なのである。

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アヤに

いつか熊本行ってみたいねー

 

夫も義弟もあまり興味はないらしいが、

ルーツをさぐれじゃないけれど、

私は、娘の顔のルーツが知りたい。

 

で、それから、ここ数年は、吉祥寺にある

熊本の物産ショップを訪ね、普段ご近所さんの店では

見かけないものを食べたことのないものを楽しむ。

 

我が家の一番人気は

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もろみ

さくら肉

うまタンスモーク

うるめいわし

 

きのうはこれに加えて、イカの塩辛と

豆腐のもろみみそ漬けを買った。

 

他にも、面白いものが沢山あって、まだまだ、食べきれていない。

どちらかというと、素朴なものが多いのだが、とにかくご飯が止まらない。

 

でも残念ながら、家族のだれも熊本には行けていない。

いつか、行きたいものだが、もう、ものすごい昔の話らしく、

熊本のどこにいたのか、なにをしていたのか、

まるで、過去がわからない。

 

うちでは、ひたすら、熊本の食べ物をたべ、

今のところ、おもいに浸るだけなのである。

 

熊本ねー、なんだろうね・・・・

子供たちには、先祖の食事ということで、

結構楽しみにしてくれる。

 

一度には食べられないので、

半分は冷凍庫にいて、ちびちび、楽しむの。

 

きのうの豆腐のもろみ漬け。

これは沖縄のトウフヨウに似ていて、

なかなか、癖になる。

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おもえば、我が家の毎日飲むお茶・・・・

万能茶も、シモン茶も、

偶然にも熊本ではないか・・・・縁だろうか・・・

 

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万能茶はいつも、神戸の義妹がわざわざ送ってくれる。

シモンは、昔ミクが入院していた時、K介くんのおかあさんが

シモン茶が体にいいらしいと天草のくらたけから取り寄せる。

 

いろんな意味で、縁とは、ほんと不思議で魅力的。

そういえば、小学生のころからの親友のTomoeちゃんが

2~3日前に熊本に仕事に行ったと、ブログにのっけていたっけ。

 

 

 

 

 

 

 

毎年五月に思うこと・・・

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5月17日(月)

 母の日がすぎた日曜日になると必ず思い出すことがある。

 

Kちゃんだ。

Kちゃんの命日だ。

 

もう、天使になって、7年位になるだろうか。死んだ子の年を

数えてはいけないのかもしれないけれど、

生きていたら、かっこいい青年だ。

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ミクが1歳九ヶ月で、白血病で入院し、

入院したときは、危険せまった状態だったせいか

最初の4カ月近くは、まったくの個室。

それもナースセンターの中にある重患室だったので

他の子と他の家族とも、かかわることもなかった。

 

大切な治療がおわり、第1段階が終了したとき、

晴れて、ナースステーション前の5人部屋に移れる時がきた。

 

少しは賑やかで、ミクにはいいだろうな・・・

その日は張り切って部屋移動をした。

 

小児科のお部屋は、お母さん&お父さんがニコニコして

大人みたいに個々にカーテンをしめることもなく

24時間、子供中心にあるから、明るい。

 

そこに肝っ玉母さんみたいな人が、ミクのベット前の子供のお母さんだった。

衝撃的だったことに、その前のベッドのKちゃんは植物状態だった。

Kちゃんのお母さんは、にこやかによろしくね・・・と

いったあと、

Kはね、わからないのよ・・・もう、反応がないの

 

しばらくして、

パパはね、そのうち目が覚めるかもしれない・・と

言うだけれど、私はあきらめている・・そう語った。

そして、数日後こんなことも教えてくれた

ミクちゃんも、F先生だから抗癌剤つかってるんでしょ

うちはね、Vという抗がん剤の副作用で脳神経をやられてしまったので

治療も大事だけど、副作用の前兆は、親しかわからないから気をつけてあげてね

 

Kもね、こうなる数日前から何回も何回も妙なところで転ぶの

それ、前兆だったのよね。

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その言葉は背筋を凍らせた。

神経質な夫にはその時言えなかった。

 

その後、毎日家族同然に付き合っていくのだから、

いろんなおしゃべりをして、それこそ、

近隣の部屋の人や、出入りする子供とは、

みんな仲良しになって、毎日保育園がごとく、

それなりに楽しく過ごさせてもらった。

 

そういうと、健康な人には考えられないかもしれないけれど、

その時の小児病棟は、いたって明るいおあかあさんの集合体で

夕方〜パパさんにかわったり、土日はパパのあつまりだったり。

決して、一歩間違えれば、死と隣り合わせなんておもわないほど、元気いっぱいだ。

 

笑いも毎日たえない。みんなとにかくよく笑う。

 

白血病は、どの抗がん剤が、きくのか、その当時は、はっきり

解明されていなかったから、きく可能性があるだろうと思われる

抗癌剤を経験値に基づきながら、

一番新しいプログラムで、何種かの抗癌剤を、12ステップ(12クール)踏む。

途中、体の調子を見ながら、休み休み、早い子で足かけ2年半、

長い子で、3年〜4年かかる子もいる。

  

抗癌剤は、癌に有効な薬だが一歩間違えば、他の機能をいとも簡単に殺してしまう。

Kちゃんが、その例にあたいする。

 

なにの抗癌剤の種類か忘れたが、24時間ぶっ続け投与の抗癌剤治療の日

私は、緊張した。

例の薬なんじゃないかと・・・・・

なにの薬でも、同じなんだけど、、、、

 

案の定、副作用は強烈な形でやってきた。

両手の点滴、おしっこ袋をぶら下げるため、

抱っこをしてやることが出来ない。

バギーにのせた。

顔から笑顔は消え、怒っているか泣いているかだ。

2歳をすぎたばかりの1月だったろうか

口の中は、副作用で血だらけだった。

それでもおやつに配られた、カステラが食べたくて、

手に握りしめていた。

 

もう2時間くらいたっているので、ベトベトのカステラは、もう

普通にたべらるような形ではないので、

もう、ミクちゃん片付けよう・・・・

そう、声をかけても

 

やっ、ミクちゃんたべるの

 

・・・・そう言って口を真っ赤かにして泣いている。

時々火がついたように泣くのは、おしっこをするとき、

粘膜が弱くなっているので、痛いらしく、泣く。

袋にたまっている尿は、真っ赤かで、段々、泣きっぱなしの時間が長くなり、

顔も土気色。

口からの出血はとどまることを知らない。

 

このままでは内臓もひどいのでは・・・・

このくすり、効果がある大事な薬と、事前に説明は聞いていた。

 

このまま続けていいのだろうか・・・・不安で一杯のとき、

Fドクターが声をかけてきた。

 

どうしましょう、おかあさん

この副作用がひどいし、おしっこの出血もひどいので

この治療続けますか?

 

最後どうするかは、いつも親の決断。

はじめての経験で、この決断はきつい。

このまま、治療をしたら、死んでしまうのだろうか・・・・

もし、治療をやめたら、再発するんだろうか・・・・

でも、続けることによって、死んでしまったら、

再発も何も意味がない。

 

副作用には気をつけてね。

あの時やめていれば、Kはこうならなかった・・・

Kちゃんのお母さんの言葉がずっしり重い。

 

FドクタチームのYドクターが通りかかった。

子供のいるお母さん先生だ。

思わずきいた。


Y先生なら、自分のお子さんにどっちを取りますか?

 

Yドクターは、しばらくミクの横で考えながら、こう答えた。

 

やめる選択をとるとおもう。

 

私はFドクターにこの薬だけ、中止を申し出た。

 

結果、24時間点滴でする薬だったけど、ちょうど12時間で終了となった。

 

その後、何年もこのことがひっかかり、あの半分でやめたせいで

再発するのでは・・・・これは退院して数年を私を不安にさせた材料でもあり、

治療が予定通り出来なかった、一つの出来事としてずっと、引っかかってきた。

 

ミクが6年生になり、もう、完治でしょうという先生の言葉を

こないだの3月に聞いて、やっと、このとっかかりが消えたような気がする。

病院の検査も半年に1回でいいことになった。

 

新しい治療は、5年以上の生存率という数字と、完治の数字がアップするが、

副作用の前例は、未知の世界。

副作用の安全策をとると、生存率はグ―ンと下がる。

どちらのプレトコール(プログラム)で治療するかも最初の段階で

親の選択だ。

 

私も夫も、なにはともあれ生きていてほしい。

そう願って選んだ、あたらしい治療は、つねに親の心も悩ませる。

 

でも、Kちゃんみたいに、早く、新しい治療で苦い、とりかえしのつかない

副作用の経験から、ドクター達も

どうするか、続けるのか、続けないのか・・・・検討するようになっていたはずだ。

 

またKちゃんのおかあさんの、気をつけてあげてね。

副作用はこわいから、やめる決断も重要

 

それも全て、あってはならない経験からだ。

 

あのとき、治療を続けていたら、

抗癌剤そのものに耐えられなかったかもしれない。

 

悲しいかな、つらい経験をした人たちのおかげで、今がある。

いま、元気に生きているミク。

生意気な、発言をする6年生。

 

母の日がすぎた、日曜日になるとおもう

Kちゃん、ありがとう。

あなたが辛い治療をして、

あなたのお母さんが、教えてくれたから、

私は、決断できたんだと。

Kちゃんが生きていた16年間に感謝し、

そして、天使になったKちゃんに毎年、心からお礼を言いたい。

 

 

決意

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5月15日(土)

 

半そでが定番の季節になってきた。

 

うーむ、太すぎる・・・・体が。

 

代謝がわるくなると、

つまり中年になると食べた分だけきちんと太る。

 

食べるのが商売だとしたら、

もっと若いうちから、真剣に代謝をあげる

事を考えておくべきだった。

 

子供自分から、人の2倍はたべても人より痩せていた。

ずーっとそれで20代もこえ、30代に来たころから、

痩せている・・・・という印象からは

遠くなった。

 

20代30代の私の酒豪は、今考えてもおそろしい。

日曜日は昼からシュポーとやっていたし、

夜の晩酌は、おやじ以上の飲み方だった。

 

もうそのあたりで人間2人分位一生分を

呑んでしまった・・・といっても過言じゃない。

飲み方も、ひとがチビチビ飲んでるの横目に

グワーッとなんでもゴクゴク飲むのが好きだった。

よく、ピッチが速すぎるよ・・・もったいないな・・・ともよく言われた。

 

ある日、あることをきっかけに

お酒はもう、やめよう。

と・・・・決心した。

まあ、自分の中の願掛けみたいなもんだ。

 

25年間飲まない日はなかったので

さぞかし、痩せるに違いない・・・付録の期待もあった。

しかしだ!!

もう、自宅酒をやめて、2年になるのに体重は500gも減らないではないか

 

どういうことだ!!

 

約束違反だ!!

・・・・・いや、だれとも約束してないな。

 

つまり代謝がわるいのだ。

去年の9月から週1で太極拳も始めたし、

毎日腕立て伏せと、2kgの鉄アレー運動は欠かさない。

でもそれを見ていた夫は、その程度じゃ、筋肉がモリモリするだけで

やせないなー

 

うーん確かに、食べる量が多いかも。

朝昼晩、おすもうさんがごとく食べるもんな。

祖母は昔90kg位あるおデブさんで、私のさらに倍食べていたし、

祖父もモリモリ食べていた。こちらは104歳でなくなり

祖母は今年96歳で食欲は健在。

でも、二人の共通点は8時過ぎには食べない

痩せなても、いまから中年街道を進むわたしとしては、

この辺りの改善をしないといけないと思うのだ。

 

ほんとにここらあたりで体重をベストな位置に持っていきたいのだ。

 

夕飯がおそい

夕飯を一番食べる。

夕飯が何より楽しみな、私にはつらいけれど、

 

夕飯を8時すぎたら、たべないでおこう。 

白いご飯を2~3杯を1杯にしよう。

長く生きたいというより、それが原因で厄介なことになるのは嫌だ。

 

この決心は、いままでも何度も、チャレンジしてきた。

でも、夕飯をつくると自分のつくったご飯がうまそうで

うまいうまいと自分が一番たべてしまうのだ。

決断が、毎夕揺らぎ崩れる。

口だけでは、実行できないのだ。

 

日記にかけば、決心が固くなるかも。

よし、今日からだ。

 

 

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