2010年1月アーカイブ

フロイン堂ー神戸阪急岡本

| コメント(0)

一月二十五日

 

フロイン堂

 

最寄駅は阪急岡本駅。

店のたたずまいは、昭和の香りがする。

 

木枠でできたその店は、ガラガラガラ〜っと

引き戸をあけると

パン屋さんというより

一種、どこかの工房にきたのだろうかという錯覚に陥る。

 

furoinndou8.jpg 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

木の棚に、見事にきれいに並んでいる

食パンで、この店の家族に、このパンが愛情を注がれて

育ったことがよくわかる。

 

いま日本は機械化が進み

パンも、ほとんどがでっかいパン用のコンべックで焼かれることが

多いなか、昔ながらのレンガ使用の

パン窯でやかれているらしい。

そのせいかまわりの焼き加減がかなりしっかりしている。

furoinndou7.jpg 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トーストしてたべたけれど、ここのは食感がしっかりしているのと

案外塩分がしっかりしているのでバターは無塩か

塩分のすくないタイプがあうとおもった。

 

焼き立てに、何も考えないで

よつばバターをぬって1枚目、おいしいけど

自分のバターの選択をまちがったとおもった。

 

ライ麦パンはぜひ、野菜たっぷりスープか豆などの雑穀のはいった

スープがほしい。

これはその日はそのままスライス。

翌日は軽く焼いて、冷めてから、バターかクリームチーズがいいな

それもバターは固形のまま、バターがパンにとけこんではいけない

 

しかし、神戸はいたるとこに、パンやとスイーツの店が密集というか

群衆している。

 

これだけ、パン屋のレベルも高く、

朝パンを食べる人々が多いのだろう。

 

フロイン堂は、全国展開をしいている、フロインドリーブの支店から

始まった店らしいのだけど、

頑なに個人商店の形をのこしているので

人の手の味わいとぬくもりはかわらないのだとうとおもう。

 

近くに住んでいれば、いろいろ食べてみたいけれど、

残念なことに旅人だ。

送ってもらっても、焼きたては食べられない運命だものねえ。

 

東京にも、風変りなパン屋さんは

だいぶ増えたけれど、テーブルパンの基本の食パンか山食がないと

私は少しがっかりする。

どんな人気のパンがおいしくても、食事用の

お米で言えば白いご飯が基本がように

食事としてのベースになるパンがないと、

がっかりなのだ。

 

あと、他のパンやをみておもったけど、

どこのパン屋さんをみてもそうだけれど、

焼き加減が全体的にしっかり目の店が多い。

おそらく東京は、もう一度家で焼かれるの計算がはいるのか

なんとなく、焼き加減が一歩手前だ。

 

どちらがいいとはいえないけど、職人気質が強いのは

関西かもしれない。

俺のパンはこうだと、主張がなんだか強い。

 

モバイルの仕事で、白いご飯に合うおかずを

中心にしてきたが、この辺の人の暮らしは

どうやら半分パンだ。

これは全国、歩かないとわからない実感。

 

 

こないだ、歩いた銚子や外川のまちは、あるけどあるけど、

ケーキ屋もパンやもない。

魚中心の町だ。

 

日本はせまいのに、こんな食文化が違う。

東京だけを歩いていては、食の発信の仕事には限界があると

 

思いながら、神戸の街をさまよった1日なのである。

また続きはあすだ。朝ごはんの仕度しなきゃ。

今日は何のパンを仕度しようかな・・・・

 

 


 

 

♪台所日記♪

 

昨夜は仕事をしていたら、途中で不都合が生じていることが分かり、

7時半くらいから

戦っていたら、ふと時計をみると9時だ!!

 

子どもたちも事務所にきていたが、仕事中このおかんに

文句をいうと怖いので、

しずかに漫画をかいたり、

私のへっぽこパソコン(MとKがきかない・・笑)で遊んでいた。

 

昔懐かしい、先代のオヤジさんはなくなったのだけど、

いまは息子さんがやっている博華に15年ぶりに行く。

お母さんは、だいぶ年をとったけれど、

息子さんと二人でやっていた。

 

固い焼きそばをミクとたべたけど、

味は庶民だけど、

もやしのひげはきちんととってあることにおどろいた。

かつては、お客さんのとのやりとりは日本語

厨房でのご夫婦の会話は北京語だった。

 

息子さんは日本育ちなのだろう。

厨房から聞こえた、おやっさんとママの日本語と北京語の使い分け会話が

今は聞こえないが、なんとも心地よい感じでなつかしかった。

そっくり顔の息子さんを見ていると

厨房に、おじさんがなんか立っているかんじがする。

味は、だいぶ油とグルソーがへったヘルシー志向に変わっていたが

2代目はがんばっていた。

 

朝ご飯・・・・・・

 

 

夕飯・・・・・・

 

 

神戸スイーツ&パンツアー

| コメント(0)

一月二十四日(日)

昨日は、

新幹線、東京駅8時20分発のぞみ

品川を過ぎたあたりから、もう富士山がべらぼうに綺麗だった。

 

そういえば富士山の表と裏の話で、こないだも話題になった。

静岡の人はどうも自分たち側から見える方が表

山梨の人はまあ、つまりのとこと同じ答え。

しかし、登山好きの人に聞いたら、山梨側から登山する人が圧倒的におおいから

山梨側が表かな・・・・答。

 

これは、静岡の人がきいたら、やばい。

まーこれは、自分の見る位置で表ということでよいのではなかろうか・・・くふ。

 

fujisann.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかしながら、

いやはや、昨日のバウムンクーヘンの旅は

思いがけずも、

すさまじいスイーツ・パンツアーになってしまった。

 

受験生とわかりつつ、このおばちゃんは

姪をさそい、神戸元町で待ち合わせ

探すのも面倒なので、目の前の交番には五人もおまわりちゃんが

暇そうにしていたし、

仕事をあげなきゃと・・・・場所を聞いた

 

おまわりちゃんは、私の大雑把な地図で一応はおしえてくれたが

すぐわかったので、サンキューをいってでていこうとしたら、

まってとばかりに、自分のもってる交番用の地図をおもむろに広げ

再び説明してくれた(さっきとほとんどかわらなかった)

 

結局、交番の前の商店街のアーケードを行くと

その正面が、ユーハイムだった。

姪が、今日関西でユーハイムの番組やっていたと。

とひとこと。

えっ!ほんと!混んでいたらやだな

 

関西人は、すぐはきーへんよ

少したってからやねん

 yu-hamimuhonntenn.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そおっ!?なんて話しながら到着。

ほんと、東京だとその日のうちに人が並んで行きつけの店に

入れなくなり、げげげげげっなんだけど

店内は静か・・・・

 

あら、ホントだねー

 

 

二階に上がると、バウムクーヘンバイキング飲み物付きで1800円に

目がくらんだけど、そうだそうだ

今日は純粋にあの、バウムクーヘンを・・・・・

 baumu (1).jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

姪はバウムクーヘンの苺トッピングの本店オリジナルケーキを注文した

ん、ここでしか食べられないということだが

素朴な、シンプルな、懐かしい味がした。

プラスプラスのデコラティブなケーキが多い現代

このシンプルな味に、やはり時々戻らなきゃ・・・・

姪とのんびりお茶タイム

 

ichigobaumu.jpg

 

のレナチャン撮影

 

 

 

 

 

 

 

この姪もうちの娘二人も苺が大好きで赤ちゃんの頃

苺を飲み込むのがもったいなくて

なかなか飲み込めず、掌に出したり口に入れたりを

繰り返し、うんと小さくなったころ、ようやく飲み込んだんだよね

なんて・・・・

本人はそのこと自体は覚えていないようだけど

 

あっ!?それって、わかるわーぁ

あのな、最近までそういうのあったー

大好きな食べ物はな・・・すぐ飲み込まへんで・・・

口の中でな、あっちやったり、こっちやったりしてから

のみこむんねん・・・笑。

 

 

nannkinn.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このあと南京中華街でうろうろ

 

 nannkinn2.jpg

わわっ、肉まんたべたいっ、

でも、このあとスーツツアがまってる

がまんがまん

 

 

 

 

 

 

 

nannkinn3.jpg

 

 

 

 

 

実に怪しい・・・・人形の顔つき

 

 

 

 

 

 

 

そのあと、近くの猫カフェ初体験・・・・

 

neko1.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

neko2.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2時過ぎに摂津本山で、姪のおかんことモトコさんと待ち合わせ

ここからが、パンとスイーツの神戸編のツアコンのセミプロのような

モトコツアの始まり・・・・・・・ここから先は、冷凍からパンを出す旅に

ちびちび、記していこうとおもう

 furoinndo.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なぜなら、見て回った数が、あとでかぞえたらすさまじかったからだ。

本当はお泊りしたかったが、

日曜にするべきいくつかの事を考えたら

やっぱり帰るか・・・・と自宅には11時到着。

 


 

 

♪台所日記♪

 今朝は、神戸岡本駅近くの昭和7年から創業している

フロイン堂の食パンと黒パン。

今は3代目、おそらく、私たちより一回りくらい下の職人さんだろうか

 furoinndou3.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブドウの天然酵母で昔ながらの窯で焼いているらしい。

パンの棚が木でできていて、小さいけど、

あの棚が、浅草橋のペリカンと同じだと思った。懐かしい。

あの頃の、食パンはそういえば今の食パンより一回り小さいサイズだが

ここの店もそうだ。

この型は日本規格なんだろうか・・・・

今朝は、いろんなおかずをたべないで、パンと飲み物だけ。

 furoinndou2.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Money mouth朝飯・・・・・・

  • フロイン堂の食パン
  • フロイン堂の黒パン
  • カフェオレ
  • バナナ

 furoinnd4.jpg

 

バウムクーヘン

| コメント(0)

一月二十三日

 

カール・ユーハイム&エリーゼ・ユーハイム 

 

私の大好きな洋菓子それはバウムクーヘン

和菓子はどら焼き

 

ともに粉ないと作れない菓子だ。

 

この水曜・自宅の机で仕事をしていたら、夫がつけっぱなしにしていた

テレビのBS2から耳の飛び込んできらバウムクーヘン

????

!!!!

 

ユーハイムのカットされたバウムクーヘンが好きで

昔は新宿と、かつて住んでいた大泉学園の駅前にあったので

よく、仕事の帰り道、自宅や職場におみやげに買っていた。

 

子どものころ、親戚のおばさんが、買ってきてくれるユーハイムの

バームクーヘンの詰めあわせに、弟と競争で食べた。

そのまま食べたり、輪をはがしつつ食べた

楽しみだった。

 

幼稚園のころ西友で、激しくジャンクな四角いバサバサしたキャンディー形に

包まれたバウムクーヘンですら、あの年輪層さえあれば、買ってもらった。

んーあの箱にはいったのより美味しくないなーと

思いながら、食べていた。

 

料理の世界に飛び込んで1年めのとき、バウムクーヘンの作り方を教わった。

卵6個も使って、こんな小さいものしか作れないことに驚いた。

結構時間がかかること、適当にやるとカットした時に、断面層が美しくなくなる。

家庭で作れるバウムなので、フライパンで焼いていくため、形は丸くなく

高さを作り上げていくバウムだったが、それ以外は忠実な作り方を教わった。

 

その大好きなバウムクーヘンの物語をNHKで放送していたのだ。

めったに私は泣いたことがないのが、子どものころからの自慢だ。

ところが、この番組やってくれてしまったのだ。

 

ユーハイムの創始者

カール・ユーハイムとエリーゼ・ユーハイム夫妻

この物語はあまりに長くて

ここには書けないけど、第1次世界大戦・関東大震災・第2次世界大戦の

被害者そのものだといいうことも驚いたし、

日本人が捕虜として、カール氏は日本に連行されたところから

バウムクーヘンの物語は始まる。

 

ドイツでも優秀なバウムクーヘンの職人だったカール氏

その後もめげることなく、日本という土地で不死身のように、

何度も立ち上がり、最後は神戸でバウムクーヘンの店を開くことになる。

 

皮肉にも終戦の前日、8月14日に亡くなっていたという

悲しい運命は、神様のあまりに、間違ったコントロールミスだ。

戦後の日本で、日本の子どもたちがこんな喜んで

バウムを食べる様子を見守ってほしかった。

 

この夫妻がいなければ、バウムクーヘンの広がりはティラミスなみに

もっと後だったかもしれない。

また、強制連行されていなければ、バウムクーヘン誕生は皮肉にも

これもなかったことかもしれない。

 

まるで平和のシンボルのようなバウムクーヘン。

この美味しさの中には彼らの歩んだ歴史と悲劇がそして、

けっして屈することのなかった職人魂と正直なものを、

みんなが買える値段で売る。

商売の鏡みたいな彼らの愛情をかみしめたい。

最後疎開先の六甲で亡くなり、そのあと奥様のエリーゼが菓子やを広げ

いまは芦屋の墓地にご夫妻で眠っているという。

 

その発祥の土地に、本店に行かないと・・・・

私たちの世代は戦争で負けた日本の悲劇しか、

学校の社会の授業では、教えられていない。

でも、ドイツ人も日本で強制的に働かせられていた。

カール氏。

たら・ればは禁物だが、戦争さえなければ・・・・・・

 

私の叔父も、また、シベリアで捕虜として2年いた。

何年も語らなかったけど、数年前に、新聞に掲載され、

連載で書き、評判になっていたが、いつも行くと、ニコニコした

小柄で温厚なその叔父の捕虜時代の過去は、活字をとおして

読んだのだが、何十年も語れなかった叔父のことを考えると、ショックだった。

食に携わる人間のひとりとして、

平和なくして食を語れず。

 

これを強く感じたから、放送後いろんな思いが複雑に絡み

涙が止まらなくなってしまった。

 

余りのコーフンぶりに夫は、

よくテレビみて、朝から泣けるなーと

半ばあきれていた・・・・笑。

 

さて、今日は、神様が出した命令

神戸元町・本店に行きなさい

ユーハイム本店の2階で、バウムクーヘンを食べるんだ。

 

 

 

 

<<前のページへ1234567891011

アーカイブ

カウンター

アクセスカウンター千倉書籍真知子の10選